「今の日本人、90年間で最悪」瀬戸内寂聴さん 人の痛み感じる心どこへ

以下,5月16日の日経新聞夕刊の記事です。
ご参考までに。

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15日で満90歳となった瀬戸内寂聴さん。
戦中、戦後を駆け抜けた作家の目には「日本人の心が今ほど悪い時代はない」ように見えるという。

私は戦争中は素直な優等生だった。女子大の友人が「父がこの戦争は間違っていると言った」などというのを聞いて「何という非国民」と思うほ
ど。
ところが、敗戦で世の中が一変した。
「だまされてた。なんてばかだったんだろう」とようやくわかったんです
これからは自分で触って、感じて、そして自分で選んで生きなければと痛感した。

それまで、妻として「内助の功」などと思っていたけれど、私の中で革命があり、作家を志して家を捨てた。
終戦直後としてはとんでもないことと非難されたけれど、自分で選んだのだから平気だった。
当時はあちこちで「奥さんが家出した」などという話があった。
戦争に負けた結果、女たちが目覚めたのね。

■瀬戸内さんの作品を貫くテーマのひとつが「自由」だ。6月末に刊行する「烈(はげ)しい生と美しい死を」では、女権運動の拠点となった雑誌
青鞜」関係者など、戦前の女性運動家たちの姿を描いた。

最も激しい生き方をして大杉栄とともに憲兵に殺された伊藤野枝大逆事件で死刑になった管野須賀子、獄中で自死した金子文子……。
彼女たちは当時口にするのも恐ろしかったようなことを、思想的にこれが正しいと信じて主張した。
因習の壁と血みどろになって闘って、今では想像もできない非難を浴びながら。

彼女たちは自分で道を選んだ結果、無残に死にました。
でも、決してみじめな死ではない。
自分のためではなく、「人間はこうであってはならない」という信念があったから。
100年たった今の私たちの自由は、彼女たちが道をつけてくれたからということを忘れてはいけないと思う。

ただ、今は離婚も不倫も何でもあり。因習も守るべき道徳もないから罪の意識もない。
彼女たちが求めた自由は、実際にそうなると、軽さに危うさを感じてしまう。
若い人たちに歴史の重みをもっと知ってもらいたい。

■今月初めには「脱原発」を訴えるハンストに参加するなど、「行動する作家」は、日本人の心のありようを深く憂慮する。
誰もが自分さえ良ければいいという世の中になった気がして仕方ない。
隣近所には無関心、道で人が倒れていても知らんぷりでしょう。
震災後のがれきの受け入れの問題にしても、ともに苦しみを分かち合う仏教の考え方からはありえない。
素朴で優しくて、人の痛みを感じていた日本人はどこへ行ったのかしら。
政治家も自分の選挙で頭がいっぱいで、国家や未来を考えているとは思えない。
90年生きてきて、日本人の心が今ほど悪い時代はないとすら思う。

 私は若い頃、坂口安吾の「堕落論」を読んで勇気をもらった。自分の書いたものが人を動かすとまでは考えていません。
それでも作家の武器はペンだけ。
まさか90歳まで生きるとは思わなかったけれど、生きたからこそ、今の「想定外」の事態に向きあっているのです。
やはりこの状況を書き残していかなければならないと思う。

(聞き手は文化部 堤篤史)

瀬戸内寂聴(せとうち・じゃくちょう) 
1922年徳島県生まれ。東京女子大卒。73年中尊寺で得度。
「花に問え」「場所」など著書多数。近作に親しい作家らとの交遊をつづった「奇縁まんだら」(全4巻)がある

http://www.nikkei.com/news/article/g=96958A9C889DE6E3E6E0E4E2E6E2E3E7E2E7E0E2E3E09097E282E2E2