我孫子から避難 : 味覚異常、倦怠感、心臓痛、脳の突然死、橋本病。また、四日市で福島避難者がガレキ拒否、涙の訴え。-gooブログ

木下黄太氏のブログから一部引用します。
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きのう一宮で二百五十人の方が、四日市で百人以上の方が集まりました。どちらの講演会も、ガレキ反対の話での連携が、場内から具体的に、はじまりました。
かなり雨なのに思ったより多くの方々が集まっていて、大変に希望が持てました。
避難者と地元住民の連携が始まっていて、本当に期待できる会合でした。
 四日市の講演会で福島中通りからの避難者のお母さんが、「逃げてきた先でがれきの受け入れを言われるのは恐怖。なんとか県民とつながって止めたい。」と話されました。
ご自身のぎりぎりの体験とあわせて。百人くらいの聴衆の中で多くの女性が共鳴し、泣いている状況です。
がれき反対の声をつなげようとしている主催者は、もともと東北震災支援をしていた農家さんです。
こうした現実を認識せず、ガレキの広域拡散が「絆」と話す人間は、本当にあほすぎます。
本質的な人間を考察しない人々です。
さて、 一宮の講演会で話した女性から身体症状に関してのメールが届きました。
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本日は、一宮市での講演会と懇親会ありがとうございました。我孫子から避難しました。

早速、私自身、家族、友人、知人におこった健康被害をご報告します。当時の我が家の状況は政府の事を信じてしまい、原発事故後も我孫子で通常の生活を送りました。
6月から放射能の危険性を知り、気をつけた生活をしていました。
箇条書きにて、失礼します。

・私の娘二人→フォールアウトした当時、気にしていない生活をした。3/21は雨にも打たれました。庭のツツジの蜜を吸ったり、4月には家庭菜園の種まきのお手伝いもしました。二人とも、鼻血、原因不明のあざ(紫斑?)、発熱、喉の痛み…などがありました。現在は元気です。

・私自身→三十代後半。女性。気にしていなかった4月頃、夜は起きていられないくらいの倦怠感、ダルさ。発熱、下痢、喉の痛みがありました。食事をした瞬間に口内炎が出来る事も多々ありました。心臓痛は9/14より始まりました。チクチクした痛みです。一宮市に引っ越しをして一ヶ月くらいから皆無になりました。

私の母→60代。昨年の8/27に福島県産の桃をひとつ食べてから味覚障害。舌先(1cmくらい)の感覚がなくなり、いまだに続いています。母いわく、歯医者で麻酔された時のような感覚がゆるーく続いているようです。ボーとしている時はピリピリしま痛みもあるそうです。食べ物は匂いもあるのでなんとか味を感じる事が出来ますが、なによりも水が不味くて仕方ないそうです。味がないので(涙)病院に行くと亜鉛欠乏症と診断されますが、薬を飲んでも改善されません。

私の弟→三十代後半。ゴミ収集の仕事をしていて我孫子のクリーンセンターに毎日出入りしています。たびたび発熱、心臓痛。マイコプラズマ肺炎にもかかりました。今現在も我孫子在住の為、症状はあります。

主人の同級生の兄→松戸市在住の四十代前半。昨年の6月に突然死。脳の病気でした。詳しい病名は分かりません。既往症はありません。

私の元同僚→三十代後半。女性。野田市在住。独身。放射能を気にしていない生活。昨年の夏頃に体重増加、酷いむくみ、倦怠感。10月に病院に行き、橋本病と診断されて、治療中。親や親戚には甲状腺疾患はいない。

日記を元に分かる限り日にちを明記しました。子供達や自身を含め、健康被害があった為、避難引っ越ししました。今後も気をつけた生活を送ります!本日は本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。
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